ロバート・S・マクナマラ

先週、”ロバート・S・マクナマラ”が亡くなったとニュースが報じた。
マクナマラと聞いて、F111を思い出す人はかなりの飛行機マニアである。
F111は世界初の”実用可変翼戦闘機”として開発された。


ロバート・S・マクナマラは1946年陸軍航空隊に入隊し、戦略爆撃の立案に従事。
戦後、フォードに入社し、経営建て直しに一役買い、社長に就任。経営手腕を振るった。
1960年、ジョンFケネディはそんな”マクナマラ”を国防長官に任命。
 折からの優秀な”経営手腕”でもって国防のやり方を革新していった。
彼の得意技は{システム分析}で合った。
このやり方でかれは軍事面の必要性とコストの分析を行うほか
徹底した”費用対効果”の分析と追求を行った。
いまでいう、コストエフェクティブネス(費用対効果)の神様的存在であった。
その彼が目を着けたのが航空機の、しかも政府にとっては”高額”な”お買い物”の調達コストであった。
軍にとって必要不可欠な”戦闘機”の調達は戦前〜戦後を通じて、”陸”と”海”は相対して、それぞれ
独自に開発をしていた。これは世界的にもいえることであり、日本でも陸軍の隼と海軍の零戦とは
それぞれに独自に開発していたし、それに連なる開発メーカーがあった。
 マクナマラはそれを無駄と決め付け、空軍と海軍の戦闘機の開発を一元化して、開発コストをさげること
を発案し、実行したのである。 ここに、世に言う(米国だけだが)”空海軍共用発想”なるものが生まれたのである。
 それはまた”失敗”の幕開けでもあった。
その犠牲になったのがこのF111である。

そもそも、空軍と海軍では同じ航空兵器を扱うが、そのフィールドはまったく性格が異なるものである。
陸上の基地や滑走路と片や、海上のしかも、空母という海上での運用である。
陸上機でも戦闘機となるとそれなりに運用環境条件が厳しいが 空母に乗せる海軍用の航空機はさらに
運用環境条件は過酷なものになる。 空母という限られた極狭の場所で離発着条件はさらにそれに輪をかける。
空軍の陸上戦闘機ならば、最高速力優先で長い滑走路を使って、着陸スピードも多少高くても問題はないが、海軍の空母へは
着陸スピードは極端に遅くなければ、着艦できない。
そこで、目をつけたのが両者を満足させる”可変後退角翼”である。

”可変後退角翼”を説明するには超音速空気力学が必要だ。

図のように飛行マッハ数が高くなると、空気の圧縮流れに伴って、衝撃波が発生し、揚力に影響したり、空力中心が移動したり
して、直線翼の飛行機では正常に飛行を続けることができなくなる。これは”音の壁”とも呼ばれていた。
第2次大戦中のドイツでは”アドルフ、ブーゼマン”がこれを防ぐ方法として、既に”後退角”を翼につけることを研究していた。
 後退角は翼に沿って曲がって流れる”アウトフロー現象”を起し、これによって、流入速度は{V.COS-θ }によって翼に当たる空気の飛行マッハ数を低減し、衝撃波の発生を遅らせる。これによって超音速飛行が可能になったのである。
 
しかし、後退角は翼にも欠点はある。それは高マッハ数の速度域では有利だが、低速度域ではアウトフローが災いし、翼端失速を
起こしやすくなる。 特に離着陸時ではこの傾向が顕著に現れる。
下図はソ連初の後退角翼戦闘機のMIG15である。

図のように着陸時などの高迎え角、低速度領域ではアウトフローが翼端付近で急激な失速を誘発し、主翼の揚力不均衡による
予期せぬピッチアップを招き、墜落にいたる。
MIG15もこの翼端失速現象で事故を続発させた有名な機体である。


 低速度の離着陸は後退角は必要なく、直線翼が有利なのである。
 そこで着想されたのが ”可変後退角翼”の発想である。

翼の付け根にピボット軸を置き、
低速度域では、高揚力係数、空力中心などが安定する直線翼状態になり、飛行マッハ数の大きい速度域では
速度の合った、後退角に自在に変化させる技術である。
これこそ、鳥の様に全速度域にあって、自在に姿をかえて柔軟に対応できる、ある意味で理想的な飛行機の
姿である。もっとも、音速で飛ぶ!!”鳥”!!を私はいままでであったことはないが、、、、、。


 だが!これも大戦末期のドイツでは既に試作実験機を完成させていたのだから驚きである。
下図のメッサーシュミット MeP1101がそれである。

ドイツ敗戦後にこの実験機は米国の手にわたった。当時の米国航空機開発者はこの技術に驚嘆したという。
そして、徹底的に分析して、造ったのが米国発の可変翼実験機の グラマンジャガー”である。
グラマンジャガー”はMeP1101に似ている。

この実験機ジャガーによって、米国は可変翼の技術開発でいろいろな技術を得た。
 可変翼には翼の角度を変えることに拠って発生する様々な空力的問題点がある。
翼の角度変更には重心位置と、翼の揚力中心の変動が付きまとう。飛行中にこれが変動すると絶えず
ピッチの操縦をしなければならず、飛行姿勢を安定させるのがさらに難しくなる。これをを最小に抑えために、ピボットの位置を
一箇所でなく、2箇所にして、離すなど可変翼の基本技術に対して、貴重はテクノロジーを齎した。
 開発メーカーが海軍機のお家芸グラマン社なのが、運命的でさえあるが、、。
こうして、ジャガーを踏み台にして、いよいよ、可変後退角翼戦闘機はF111として、開発にGOサインがでたのである。

こうして、F111は新し物好きのゼネラルダイナミックス社を主契約にして、可変翼と海軍機ではノウハウのあるグラマン社が

名乗りをあげて、開発に乗り出した。
しかし、所詮、空軍機と海軍機、それを乗りこなすパイロットの気質さえも違うと言われているなかで、呉越同舟の数々の問題が噴出した。
 もっとも判りやすい着陸装置、つまり航空機にとって、翼を休める装置にも 空軍機と海軍機では若干どころか大きく求める要求
レベルが違うことを紹介しておこう!。
下図の左は海軍の”F14トムキャット”右は空軍の”F15イーグル”のノーズギア(首車輪)である。

 F14の首車輪はダブルタイヤで主脚柱の径も太く全体的にがっちりとしている。前方には
空母のカタパルト発進用のニーフックが伸びている。一般的にも航空機の車輪は着陸のショックに耐えるため
もっとも強度を高めた鋼製の鍛造で造られている。空母着艦時の時速250km、沈下率5m/sで甲板に落下している">発進時は2秒間で0〜200kmまでの強引なカタパルトによる急加速に耐えられる強靭な装置である。
 一方のF15の首車輪は海軍機と比べるとシングルタイヤで実にシンプルで脚柱も細く、軽量化に徹しているのが
比較すると一目瞭然である。
 両者の重量は2倍以上の開きがある。
このように車輪ひとつをとっても空軍機と海軍機とでは要求される性能が違ってくる。
 これを一機種でまかなうとなると当然、条件の厳しい性能を満足させる方向となってくる。
それは空軍機にとっては致命的な余分な重量を負担することになる。

しかし、F111の開発によって、航空技術開発に革新をもたらした側面もある。
可変翼を動かす要である軸受けには飛行中に発生するすべての揚力荷重を受けて、なおかつ、スムーズに
動くことが要求される。その揚力荷重は激しい戦闘機動中のドックファイト(闘犬?)時にはプラス8Gからマイナス2.5Gまで変化する。グラマン社はこのベアリングとして軽量で高耐荷重、かつ温度変化に対応できるにテフロンベアリングを開発した。

 当時、テフロンはデュポン社が開発した”ポリテトラフルオロエチレン”で科学的に安定で、対薬品性、耐熱性、滑潤性に富む物質である。それを
ベアリングに採用した。 もちろん従来のように鋼球は使用しないので無給油でメンテナンスは不要だ。
F111で採用したこのテフロンコーティング技術はその後、身近な台所用品で主婦にも恩恵をあたえた。
いわゆる”焦げ付かないフライパン”である。


 このF111は航空機の製造技術にも多々、革新をもたらした。
それは軽量で高荷重な可変翼軸受をささえるウイングボックスにはチタニウム合金を採用し、エレクトロビーム溶接したのである。
高荷重変化に対応するために普通の溶接では酸素脆性などの溶接不良が伴うので真空チャンバーの中で電子ビームをとばして、
溶接する技術である。この技術はその後の傑作機”F14グラマントムキャット”にも使われた。
F111は航空機技術の品質管理面でも”損傷許容設計”なる新しいコンセプトも構築した。これは当時DNCが発達過程にあり、
軽量化と寸法精度の向上を求めて、チタンやアルミ合金の削りだし部品が急増しつつある時にF111の試作テスト飛行時に予期せぬ墜落トラブルが相次いだことに起因する。
 原因を調査すると、切削加工時に付いた刃物による”傷”が原因で破壊に繋がることが判った。この刃物傷による損傷破壊を食い止めるために刃物傷の深さの限度を定めたのがこの”損傷許容設計”である。
 このほかにも、モジュール脱出装置など革新技術を導入した。このあたりは新らし物好きのゼネラルダイナミック社のコンセプトが現れている。しかしながら、"空海"共用発想であるために、重量増加は免れず、そのうち、エンジン不調と空気取り入れ口のマッチングに問題が発生して、空母着艦テストも不調におわり 、とうとう海軍からはキャンセルされてしまった。
 結局、空軍だけが戦闘爆撃機として、当初計画より約半分に削減して、採用した。
しかし、その後の華々しい活躍もなく 、その後に続く新世代戦闘機として出現した、F14,F15、F16、F18にお株を
奪われて、”鳴かず飛ばず”の状態がつづいた。
 しかし、1986年、突然!!世界を揺るがす ”檜舞台”に躍り出たのである。
 米国による、テロ支援への報復として」リビアの最高指導者”カダフィ大佐”の別荘の爆撃作戦に子のF111が使用されたのである。この爆撃には”レーザー誘導爆弾”ペイブウエイ3”が使用された。”ペイブウエイ”はレーザー照射機で目標を照らし、その反射波を爆弾先端のシーカーが捉えて、正確に誘導する。マスコミの見出しに初めて”ピンポイント爆撃”なる表現が使用されたくらいの正確さを誇る。それはある”ビル”ではなくビルの何階のどの”部屋”かまでも特定できるほどの攻撃精度を持つ。

 しかしながら、別荘には”カダフィ大佐”は不在であった。

その後、この作戦を最後に米国空軍からは引退して、現在は英国とオーストラリアが数機を使用するのみとなった。

 この失敗の教訓が現在のF35ジョイントストライクファイターに生かされている。
F35では基本機体を統一して、各主翼、推進システム、車輪などをモジュール構成にして、無理に一機種の機体で対応するのでは
無く、空軍、海軍、海兵隊と要求仕様に合わせたモジュールを採用することで対応するようにしている。
海兵隊と英国海軍向けにはVTOL仕様まであるという優れものである。

F111の失敗もむだでは無かったか。