将軍様のロケット遊び

skyex2009-06-27

プロフィール



skyex

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見果てぬ夢を形にするスドリームデザイナーIt is Sdream Designer in shape as for the faraway dream. :yoichi takahashi

 今から45年から50年前であろーか、小学校高学年から中学生にかけて、よくロケット遊びをした。現在ではそれは”禁じられた遊び”のたぐい?になるものであろうか。 当時は先進諸国が競って、”宇宙開発競争”をしていたので
子供の私は大いに影響をうけた世代でもある。 宇宙というまだ知られていない世界への興味とそこに行くための先進技術であるロケットという銀色に輝く先進的な乗り物に多いに刺激と驚きを受けた。 当時飛行機にも当然興味はあったが、羽根のない物体が炎の噴射と轟音を響かせて高空に舞い上がる姿は何処か未知の世界へとつながる不思議な羨望感に包まれた。
 小学生である私は身近なものはもちろん学用品である?!。その学用品に中にひときわ興味をそそるものがあった。それは鉛筆キャップである。当時は未だプラスチック製品がまだ普及していない時代なので鉛筆キャップも金属性であった。それはアルミの薄板をかなり深く絞り加工した物で、まさにロケットの形を彷彿させるものであった。銀色のそれは弾丸にも似ていて、航空少年である私にはいろいろなものに想起できた。私の頭のなかではそれは轟音を響かせてかなたに飛んでいくロケットに見えた。

 アルミ製鉛筆キャップは当時1ヶ5円くらいで売られていて、5本くらいが袋入りであった。
今はプラスチック製になっているので、、もう存在していない。いや鉛筆キャップそのものが無いかも知れないが。
 そのキャップに当時の台所にあったものをつめて、火をつけると、シュッ!という心地よい音と噴煙を残して3mくらい
まっすぐに飛んでいった。 その詰め物についての具他的記述は(扱いによっては危険物になるので、)あえて避けるが、、、。本物のロケットと同じ推進原理と”放物線”を描いて飛ぶ様は子供の私にとっては非常にエキサイティングな遊びであった。
 点火の方法はローソクの炎でロケットのお尻を炙る簡単な方法であった。発射台は最初は木の小枝などで支えていたが、
ローソクの炎で燃えて失敗し、自分の足元にロケットが飛んで来て”足元花火”状態になったこともあり、針金で支える方法にかえた。

そのうち、もっと遠くに飛ばしたいと考えるようになり、”推進剤”を工夫することを思いついた。
ある日、当時の発音玩具のピストルに使われていた発音薬を入れて発射してみた。
バン!という音とともに5mくらい飛んでいったが瞬間の飛行であり、噴煙も出ないので 飛距離は伸びたが ロケットらしい飛行には至らなかったので面白くなかった。やはり、燃える時間が瞬間でなく、程よく長く燃え続ける必要があるのだ。 風の便りに、当時の詰襟学生服のカラーを小さく切って、キャップロケットに詰めるとよく飛ぶという話を耳にした。
早速、母親からの怒られ覚悟で 学生服から”カラー”をはずして、やってみた。
 今度はシューっという長ーい音!と噴射煙を残して、8mくらい飛んでいった。 飛行姿勢もロケットらしい弾道を描いて
予想以上に飛んだので大変満足した!!。
 当時の詰襟学生服は首にきつくて、子供ながらに何で!こんなシンドイ服をきて勉強をしなければならないのか!とあまり良い
印象を持っていなかったが、学生服の”カラー”がこのキャップロケットの非常にいい”推進剤”になることを知ってからは見方が変わってしまった。

 学生服の”カラー”が何でこんなに良く燃焼するのか当時の知識では詳しく知る由も無かったが、、、。ただセルロイド製ということは知っていた。当時、プラスチックといえば”セルロイド”と戦前から伝わる安い合成樹脂の代名詞であった。なんでもセルロイド製の身近な日曜品がたくさん合った。石鹸箱や駆使、敷き下のどその目でみればたくさん”推進剤”は身近に存在していた。 
ためしに”カラー”に点火すると、ビューというかすかな燃焼音を出しながら、3〜4センチくらいの炎を出しながら
勢い良く燃えていったのを覚えている。

 セルロイドはニトロセルロースから作られる安価な合成樹脂である。ただ、燃え安く自然発火するのでその後、危険物扱いとなり、60年代で姿を消してしまった。戦前の古い映画フィルムにも使われていたので、良く昔、映画会社の倉庫が自然発火で火事になった話をたくさん聞いた。

 今から考えると、その自然発火しやすい”セルロース”が何で?人の、しかも子供の学生服の首に巻いていたのか??!!!。当時不燃性樹脂が無かったとはいえ、今から考えると空恐ろしい!の限りである。

しかし、私にとっては身近に良好な”推進性能”を持つ”セルロース”が手に入るので、不要になったり、割れて捨てられる”カラー”をたくさん集めて回り、宝箱はいっぱいになった。(硝酸ニトロセルロースが危険物とは知らずに、、、恐わー!)

 私も、人生の成り行きに乗じて”危険物取り扱い者”なるものの免許を持っているが、、国家試験の法規の項目で
この”セルロイド”(硝酸ニトロセルロース)の試験項目が出題されていたのを覚えている。

 現在ではこの”セルロイド”は消防法などで規制対象物(第5類危険物)に指定され、製造、貯蔵、取扱方法が厳しく定められているので入手は不可能だ。
 
ロケット遊びも実験の回を重ねるごとに、推進剤の混合を工夫した。

 最終的には セルロイドと木炭をある比率で混合することで燃焼速度をコントロールする手法を編み出し、
最終的には12mくらいの飛距離を記録するまでになった。
 ロケットの点火もローソクだと点火時間がコントロールできないのと屋外での実験なので風で吹き消されたりするので
良くない。そこで電気着火式を考案することになった。
 かまぼこ板に取り付けた乾電池からエナメル線を5〜6m延ばし、キャップロケットの噴射口に
差し込んでセットした。 手元のブリキ板で作ったスイッチをいれることで豆球のフィラメントが赤熱して、推進剤に点火する仕組みである。
発射台も木片と”かまぼこ板”で作り、キャップロケットに細い針金を巻いて、リングをつくり、発射レールに取り付けた針金を
ガイドレールにすることで発射時の方向安定を高めた。
 この方式だと 本物のロケットの発射のように”カウントダウン”できるようになり、リアル感が高まった。
 
 9、8、7,6,5,4,3,2,1、発射! シューっという長い音!と噴射煙を残して、弾道飛行していくロケットを
見ていると、より本物に近く、完成域に達したと感無量であった。

時代背景はケネディアポロ計画を発表したころと記憶している。

こうして、暇さえあれば近所の子供たちを集めては良くこの”ロケット遊び”をした。
ある日、学生服の”カラー”がいつの間にか”燃えない”ことに気がついた!!。
当時の通産省の指導だかなんだか知らないが、学生服の”カラー”も危険なセルロイドをやめて、塩ビ系のものに変わっていって、推進剤として使えなくなったのは大変なショック!!!!!であった。

 ある日、”悪がき悪友連中”の 風の便りに牛小屋の石垣にへばりついている”白い粉”状ものが良く燃えるとの情報を入手した。

 当時の子供たちの”遊びの情報”ルートもたいしたものでインターネットも無い時代にしては ”面白い遊び”はすぐ伝わってきたものだ。
 早速、キャップロケットの”推進剤”に使用できないか、とテストをした。
白い粉だけだと、セルロイドほどの推進力はなく、3mくらいしか飛ばなかった。
 完成域に到達していた我が”キャップロケット”は推進剤の資材をたたれて、石器時代に戻ったかの様に性能が格段に後退してしまった。
 そこでも、何とかできないか!とかつて推進剤の混合効果を知っていたのであらゆるものを混ぜてはテスト飛行をした。何十回かの”ロケット発射”実験の結果 完成域にまで飛距離の戻せた”混合推進剤”にたどり着いた。
 それは、我が家の牛小屋の石垣で取れる”白い粉”と炭の粉、と ある粉 を混合した”推進剤”である。 
これに到達した。 我が家の牛小屋の石垣で取れる”白い粉”はいくらでも取れる!!!。 とってもとっても次々と湧き出てくるようにあるので無くなる心配が無いのはありがたい。 
 炭の粉は当時いくらでもある”家庭燃料”の木炭を石でするつぶした。
 
 そんなこんなで、新しい”推進剤”の混合に成功した、我が”キャップロケット遊び”はその後も数年間続いた。
その後、
 長い間、我が家の”牛小屋”の石垣で採掘される?”白い粉”?はいったいなんであったのか?と不思議に思っていたのだが、、、、、。時はながれて、、、、。

なんと!35年後の、、、、。なんとなく聞いていた ある深夜ラジオ番組で 昔の加賀藩徳川幕府の”命”を受けて 火縄銃の発射薬の原料を造っていたとの話を聞いた。 それも 人の糞尿から、造るというものであった。しかも、”家の床下”で。
 その話を聞いて、”白い粉”の正体が初めて 私には推測することができた。
その瞬間は記憶のタイムマシンが現在にリアルに繋がった瞬間であった。

以下は当時の条件を思い出しての私のあくまで推測であるが。

 牛小屋は東側に灰石(火山灰が体積した岩石)の石垣の面があり、その上に建てられていた。
中には土の土間の上にワラがしかれ、その上で牛が飼われていた。
 牛は草食の家畜であり、大量の草を食べる。その結果、大量の糞尿を放出する。
ワラの上に落ちた 糞尿はワラの中や土間の中に浸み込んでいくうちに土中の”硝化バクテリア”の働きで”亜硝酸”となり、それが土中の酸素と反応して”硝酸”と変化した。石垣の”灰石”は灰の成分である”炭酸カリウム”を含むんでいるのでこの灰石の中に浸み込んだ”硝酸”は太陽熱と雨による適度な湿度と程よい温度の中で”カリウム”と結びついて、”硝酸カリウム”が生成され、石垣の表面に結晶?となって析出?したと推測する。これが”白い粉”の正体であろう。
 牛がいる限り、大量の糞尿を放出するのでこの”化学反応?”は連続的にかつ昼夜いとわず、行われることになる。
いやはや、驚いた!!。
 我が家の”牛小屋”には立派な”化学プラント?”があったのである。モウー!驚いた!。

どうりで、採っても採っても次々と湧くよう!に出るはずである。モウーたくさん!!。

しばらくはこの化学プラントで絶え間なく生み出される”推進剤”でかなり長い間”ロケット遊び”をすることができた。

数年後、この"牛"も売られて去り、、、、、モーウシ分けない!と、、、、化学プラントもそのサイクルを維持できなくなり、あえなく”白い粉”は生産中止となった。 牛さん!長い間、”ロケット遊び”を支援してくれてありがとう!。

 いよいよ、推進剤もなくなり、次はもっと進歩した”液体燃料ロケット”でも作ろうか!と考え、、、。幸い、ストーブ用の石油は家にあるし、、、、。
と考え、ゴダードフォンブラウンの本を片っ端から読んだ!!。原理などは頭に入ったが耐熱性の材料や金属加工が当時の
私の知識m技術が追いつかず、構想のうち、、、に暗礁に乗り上げてしまった。